2. ハートピア

 室内にはまばゆい太陽の輝きが差し込んでいる。キラキラした日差しを浴びながら、ぼくは手の中のマグカップに注がれたコーヒーの香りを楽しんでいた。ぼくがいつもゲームや読書のお供に飲んでいる、お手軽においしいインスタントよりも香りにずっと奥行きがある。これはたぶん高いやつだ。まだ見ぬリッチなコーヒーを早々に飲んでしまうのはもったいなかった。
 あれからトライオさんが部屋を去ったあと、高揚感に支配されろくに眠ることはできず、彼が朝になってサンドイッチとコーヒーを持って部屋にきてくれるまで窓から見える景色を眺めてすごした。夜空に浮かぶ星も、太陽がのぼって明るくなる空も今までとなにも変わらない。それなのに気持ちがふわふわして、1度中身を全部取っ払ってきれいに洗ったみたいに身体が軽くて、吸い込む空気が全然ちがうものに感じる。ぼくは手元から顔を上げ、もう一度窓の外を眺めてにへらと笑った。顔の筋肉がずっとゆるみっぱなしだった。
 彼によると、魔法使いとはふしぎなチカラを使って人助けをすることを仕事にしている人のことらしい。そしてそんな輝かしい仕事をしているトライオさんが、夜中に路上に転がっているぼくを見つけて休める場所に運んでくれたそうだ。
「あなたをみたとき、すぐに外の世界からとんできた方だとわかりました」
「その、とんできたっていうのは、どういうことですか」
 ぼくはコーヒーの香りをひとしきり楽しみ、マグカップの中にミルクを投入してくるくるかき混ぜた。黒色の液体に白い線が浮かび、次第に解け合って黒とも白とも全く違った色になる。その様子に満足して、朝食と一緒に持ってきてくれたシュガーポットから砂糖をいくつかつまみ上げて放り込んだ。コーヒーを口に含むと、深い香りと一緒にとろりとした甘さが舌の上で広がった。うまい。寝ていないせいでぼんやりしていた頭の中がはっきりする。
「特別めずらしいことではありません。ここでは稀に、人が急に現れることがあります。彼らは口をそろえて、ハートピアなんて世界は知らない。ただ、あることをしていて、気付いたらここに来ていたといいます」
「あることって?」
 彼は言いにくそうに、サンドイッチをほおばるぼくの顔をみた。トマトとレタスを挟んだそれを飲み込んで、再びコーヒーを口に運ぶ。
「あなたは、なにかねがいごとをしませんでしたか」
 おどろいたせいでコーヒーが器官にはいった。反射的にげほげほとせきがでて、目に生理的な涙が浮かぶ。大きく息を吸い込んで調子を整えると、彼はあわてて、驚かせてすみませんと謝った。
「ここにとんできた方は皆、直前になにかを強くねがったそうです」
 彼はぼくの反応を肯定と受け取ったようだ。実際それは正解で、でも話を聞いているとあまりにも理不尽だ。ぼくはゲームにねがいを入力しろと言われたから入れただけなのに。
 まあ、ぼくは街の外に出られてうれしいので、全く構わないけれど。
 もう一度、窓の外を見る。外にはぼくの知らない色の屋根が連なっている。生まれた街であのまま暮らしていても、決して見ることはなかった光景だ。
「その、外からとんできたという人は、いつか元の場所にもどってしまうんですか?」
「どうやったら帰れるのか、とは聞かないのですか」
 ぼくの疑問にトライオさんは目を丸くした。
「おれ、ずっと知らない場所に行ってみたかったんです。せっかく叶ったのに、自分の意思で帰ったりはしませんよ」
「もう二度と帰れないとしても?」
 彼のことばに、一瞬で雑音が消えた。室内の時間が止まったみたいな静けさのなかに、変わらずコーヒーの香りが漂っている。まっすぐにぼくの顔をみる彼の瞳は真剣そのもので、ただのもしも話をしているわけではないのだとわかった。
「それならなおさら。ないものを聞いたって意味ありませんから」
 トライオさんは驚いた顔をして一呼吸おき、再び微笑んだ。その表情が、なんとなく最初に見たものと違って感じる。
 彼は、こういう言い方はよくないのでしょうが、と言って続けた。
「助かります。飲み込みが早くて。…せっかくなので、外に出ませんか」
 曰く、外からきた人が生活に困らないように、無料で部屋が借りられるシステムがあるらしい。部屋を借りに行くついでに、街を案内しますよ、と。
 おそらく、ぼくの言葉は強がりだと思われているのではないか。彼は家に帰れないという悲しい現実から、見知らぬ土地を出歩くことで一時的に目をそらせようとしてくれているのではないか。あからさまでもないものの、こちらの表情をうかがうような、気を遣うような様子から、そう感じた。
 初めてみる、なにも知らない場所。魔法がある場所。彼の気遣いとは裏腹に、どきどきとうるさい高鳴りをおさえ、興奮に頬が紅潮するのを感じながら、ぼくは力強くうなずいた。


 建物の外にでると、太陽の熱がジリジリと照りつけてきた。空は青く澄んでいて、その中に白い雲が溶けるように浮かんでいる。街には世間話をしながら歩く女の人たち、道沿いの店をちらちら見ながらも、店に入らず通り過ぎて行くお兄さん、母親と手をつなぎ、公園へ行きたいと手を引っ張りながらおねだりする女の子。微笑みながらそれに応える母親。
 とてもふつうだった。とりたてて何ということもない、ほんとうにただただ普通の光景だ。空を見たこともないような生き物がとんでいるとか、魔法のチカラで、上に立つと一瞬で移動できる装置だとか、かがやくオブジェだとか、もっとぼくの考えも及ばないような何かとか、そういうものが、ない。
「どうかされましたか」
 ぼくの少し前を歩くトライオさんが、くるりとこちらに向き直った。おそらく、ぼくが外にでるなりだまってしまったことを気にしているのだろう。
「なんでもないですよ。ただ、初めて見る街に感動しているんです」
 ただでさえ気を遣ってもらっているのに、ぼくの勝手な希望とわがままにつきあわせてしまうのは申し訳ない。適当にウソを並べると、彼は首を振った。
「ちがいますね。あててみせましょうか。外に出れば、何か特別なものがあるとおもっていたのでしょう」
 淡々とした口調で語る様子に、心を読まれたみたいでぞっとした。正解だ。だがぼくは彼の前で、彼でいう『外』の世界の話をしていない。ぼくが生まれた街から出られなかったことも、当然知らないはずだ。なのに外に出ればと言った。光を受けた瞳がかがやく。
「すごい! あたりです。なんでわかったんですか? もしかして、それが魔法ですか?」
「ちがいますよ。心を読む魔法なんてありません」
 ヒートアップしていた感情が、ばっさり切られてしまった。トライオさんは、すみません、期待させたみたいですね、と困ったように微笑んだ。謝るべきは、彼の優しさを無下にしてウソをついた、ぼくのはずなのに。
「ただ、私も外からきた人間なので、あなたの様子をみていると想像がつきますよ」
 彼は、このハートピアという場所でも『外』と同じように街の周りに透明な壁があること、その外には竜がいることを教えてくれた。だから街の外には出ないよう、気をつけてくださいね、と。
 どうやらほんとうに人がとんでくるということは珍しくもなんともないらしい。ぼくの友人や周りの大人は、生まれてから死ぬまでをあの街で過ごすことを当たり前に受け入れていた。ぼくと同じように不満を持っていた人がいたことが、なんだかうれしい。
 今更ウソを謝罪をするのはおかしくて、その代わりにうなずいた。申し訳ない気分をどうにかしたくて、もう一度街の様子に目を向ける。
 やはり平々凡々な印象だ。ぼんやり視線をうごかしていくと、しかし、ある一点だけ強烈な違和感を感じる。
 記憶違いかと思ったが、すぐにそれを否定した。自慢でしかないが、ぼくは1度見たものを忘れたりしない。見間違いということはないはずだ。なのに、だからこそ目の前の光景の説明がつかない。
「どうしました」
 トライオさんが、一点をみつめてフリーズするぼくに再び声をかけてくれた。止めた目線の先をたどって、もう一度ぼくを見る。
「もしかして、お知り合いですか?」
 視線の先は大人の女の人だった。パン屋の店先に立ってにこやかに呼び込みをしている。あそこの店員さんのようだ。
 トライオさんに、いうべきか、いわないべきか。こんなことをいうと、頭のおかしいやつだと思われるかもしれない。めんどくさいやつだと、このまま路上に置いて行かれるかもしれない。
 でも、気になる。
 たいしたことじゃないんですけど、と予防線を張って、続けた。
「あの女の人、さっきあそこの公園にはいってたんです。小さい女の子と一緒に。それから10分も経ってないのに、今店番をしてるみたいだから、不思議だなーって」
 進行方向とは逆の、歩いてきた道を指差す。
 すれ違った覚えはない。それに子どもはどうなったんだろう。手をつないで、仲のよさそうな雰囲気だったのに。ふたりとも笑っていたのに。一緒に遊んでもらえなかったのか。公園においていかれたのか。
 もしかしたらぼくが気付いていないだけで、瞬間移動の装置があるのかもしれない。子どもと仲良く公園に入って、遊具において、ちょっとお仕事してくるね、なんて店番をしているのかも。お客さんが店にいない間は装置を使って、公園と店を行き来するのかもしれない。そういうのが、ここでは当たり前なのかもしれない。
「見間違いということはありませんよね」
 ぼくの不安とは裏腹に、トライオさんは引きも笑いもしなかった。それどころか、全面的にぼくの発言を信じてくれているようだった。ほっとした。彼の言葉に、うなずいて応える。
「レイル。ここは、おそらくあなたがいた場所とほとんど何も変わりません。でも、ふたつだけ、決定的に違うことがあります」
 トライオさんはぼくの目をみて、ピースをするみたいに指を2本立てた。
「ひとつ目が魔法があること。そしてこれは、おそらくふたつ目です」
 瞳が再び光を受ける。胸のもやもやがどこかへ行って、代わりにどきどきという音がすぐそこで聞こえる。説明したいので、部屋に行く前に少しだけより道をしてもいいでしょうか、ともったいつけるような言葉に、何度も首を縦に振ると、彼は笑った。
「では、ついてきてください」
 トライオさんに続いて、パン屋のドアをくぐる。レジの前に立つ例の女の人に、いらっしゃいませ、と気持ちのいいあいさつで迎えられた。お客さんが大勢入っている店内は焼きたてのパンの香りに満ちていて、さっき朝食をたべたばかりなのに、何か食べたくなってくる。壁には、同じ品種の花の飾りがいたるところに取り付けられていた。
「せっかくなので、昼食にいくつかいただきませんか」
 彼は几帳面にぶら下げてあるトングの中からひとつつかみ、トレーをとった。やった。しかし、やはり心を読まれているのではないだろうか。さっきそんな魔法はないとは言っていたが、変なことは考えないようにしよう。念のため。
 代金は私がもつのでという言葉に甘えて、切り分けたピザのような形をしたパンと、ウインナーを包みこむ形をしたもの、コーヒーをおねがいする。トライオさんもふたつほどつまんで、レジに持って行った。
「魔法使いさまにお越し頂けて、光栄です」
 女の人は慣れた手つきでパンをひとつひとつ袋に入れながら、うれしそうにそういった。トライオさんは遠慮気味に微笑んでいる。
 びっくりした。魔法使いはどうやらえらく尊敬される存在らしい。もしかしたら、ゲームの中みたいなありふれたものじゃなくて、案外上級職なのかもしれない。そうなのだとしたら、街の中に便利な魔法アイテムのひとつもないことにもうなずける。
「そのことなのですが、このあたりでねがいが発現したようなのです。なんでもいいので、心あたりはありませんか」
 ねがいが、発現。話が見えなくなってきた。しかしここで言葉をはさむのも気が引けるので、説明するといってくれたトライオさんの言葉を信じて機会を待つことにしよう。
 女の人は、おそらく心当たりとやらを探しているのだろう、しばし考えていたが、やがて申し訳なさそうに頭を下げた。
「お力になれなくてすみませんが、わかりません」
「わかりました。ご協力ありがとうございます」
 またパンを頂きに来ますね、と微笑んで、トライオさんは店から出てしまった。ぼくもそのあとを追いかける。
「今のが、外にはないものなんですか」
 パン屋から距離をとったところで疑問を投げかける。彼は先ほど買ってくれたコーヒーをぼくに差し出した。
「ええ。レイルは、どうしても叶えたいのに、決して叶わないねがいがあるとしたら、どうしますか」
「どうしても叶わないのなら、諦めますよ」
 だって、前提がそうじゃないか。叶わないというんだから、それがどんな希望でも、諦めるしかない。普通なら。
 彼はそうですよね、とうなずいた。よく分からない。話の向かう方向も、さっきの質問の意味も。
「外では、普通はあきらめます。しかしここでは違う。実現不可能なねがいを叶える方法があるのです」
「方法って?」
 もったいつけるような言い方が、不思議といやじゃない。ぼくはシンプルな相づちを打って続きを待った。
「月です。夜中にねがいごとをすると、次の朝には月が叶えてしまうのです」
 ぼくはぽかんと口をあけた。ねがいが叶うなんてにわかには信じがたい。どういう世の中だ。ねがえばなんでも叶うだなんて、そんなの、みんな怠惰になっちゃうだろ。
 反面、頭のすみでピンときている部分がある。外から来る人間は、その直前に何かを強くねがっていると彼は言っていた。何でもねがいの叶う世界が、強いねがいを持つ人を引き寄せているのではないか。
 それが何のためなのかは、全く検討もつかないけれど。
「ただ、ねがいが叶うとは言っても、もちろん欠陥があります。なので、ここで暮らす方も普通は月に叶えてもらったりはしません」
「なのに、あの親子は月にねがったってことですか」
「おそらくは」
 言葉は曖昧だが、それに反して口調は力強い。ぼくが質問ばかりすることに、いやな顔もせず答えてくれた。
「今回ねがったのは、あなたが見たという子どものほうでしょうね」
 彼の解釈に、ぼくは納得して頷いた。女の人は、さっき心当たりがないと言っていたから。
 トライオさんの講義がおわったようなので、ぼくはもらったコーヒーを口に運んだ。熱い。もう少し冷ました方がよさそうだ。
「そういうわけなので、部屋を借りに行く前に、もう少しだけつきあってもらえませんか」
 ぼくはコーヒーに注いでいた視線を彼に向けた。いろいろ歩き回るのは、全然構わない。むしろありがたい。案内を頼んで、説明も頼んで、お世話になっているのはぼくのほうなのだから。
 しかしなにが『そういうわけ』なのか分からなかった。
「何をするんですか?」
「叶ったねがいを、なかったことにします」
 びっくりした。コーヒーを持つ手の力が緩んで、紙のコップを落としそうになる。
 彼はさっき、普通は月にねがったりしないと言った。つまりよっぽど思うところがあって、あの女の子は何かをおねがいしたということになる。それなのに、あんな小さい子の、せっかく叶ったねがいをなくすとは。
「何でですか。望みが叶っているんなら、そっとしておいてあげたらいいじゃないですか」
「決して意地悪で言っているのではありませんよ。言ったでしょう。ねがいの叶い方には欠陥があって、本人の望む通りには叶わないのです」
 そういうものなのだろうか。ぼくにはそれがどの程度希望と違う叶い方をするのかは分からないが、しかしトライオさんがわざわざねがいを消すというほどなのだから、まあ、かわいいレベルではないのだろう。
「だから、月の叶えたねがいにとらわれないように、手伝いをしたいのです。魔法使いは、人助けが仕事ですから」
 

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