3. 少女のおねがい

 太陽が頭の真上でかがやく昼時、公園の砂場で例の女の子が山を作って遊んでいる。山にトンネルをつくりながら、母親に向かって笑っていた。母親は一緒に山をつくりこそしないものの、少し離れた位置にあるベンチに座って女の子の様子を見守っている。
「仲がいいのですね」
 トライオさんが女の子に声をかけた。にっこり微笑む彼を、女の子も母親も敵意はないものと判断したらしい。女の子はトライオさんをみるなり顔を輝かせた。
「おにいちゃん、まほうつかいさま? なにかまほうしてみせてよ!」
「もちろんいいですよ」
 どうやら魔法使いというだけでつかみはOKのようだ。ねがいを解除するべく近づいていることを思うと、彼女の笑顔を裏切っているようで心苦しい。
 トライオさんはマントを片手で手早くまとめると、かがんで女の子に目線を合わせた。そして彼女の顔の前で手のひらを広げてみせる。
「?」
 女の子が、不思議そうな顔をした。それはそうだ、手の中には何もない。彼は手のひらをひっくり返し、そしてもう一度上を向けた。種も仕掛けもございません。そんな感じの動きだった。
「なにもないよ」
「そうですね。でも、よくみててください」
 女の子もそう感じたらしい。トライオさんの顔をみて不満を訴える彼女の視線を、もう一度手のひらに向かせた。
 瞬間。
 花をあふれている。なにもなかったはずの手に、種類も色もとりどりの花が包まれていて、おさまりきらなかったいくつかが、乾いた砂場の上に落ちていく。手のひらを握り、もう一度開くと、一輪だけを残してのこして手の中の花がなくなっていた。
 これが魔法なのだろうか。何もないところに、ないはずのものが現れるという点ではぼくの思う魔法と同じだ。でも、水も炎もでない、煙も光も爆発もなく、ただ花がでてくるだけなんて。
 なんだかつまらない。
「どうぞ」
 手のなかの一輪を女の子の髪に挿してあげると、彼女は勢い良くトライオさんにへばりついた。
「おはなありがとう! おにいちゃんすごいね!」
「そんなことはありません。あなたとおなじですよ」
 女の子が再び頭に疑問符をうかべると、彼はおや、という表情をつくった。つくっているんだと思う。その表情が、どこか芝居がかっているから。
「お月さまにおねがいをしませんでしたか」
 彼女は目をまん丸にし、ねがったことを責められているとおもったのか、助けを求めるように母親をみた。離れたベンチに座る彼女には会話の内容が聞こえていないらしく、見当違いにも手を振って娘の助けに応えている。
「怒っているのではありませんよ。私とそのお兄さんは月について調べています。お店でも、この公園でもあなたのおかあさんを見かけたもので、月が関係しているのではないかと思ったのですが、ちがいましたか」
 半分は嘘だった。そんなこと調べてない。彼は嘘をつくことで、責める気はないことを、月にねがった人に会えてむしろラッキーだということをアピールしているのだろう。合わせて先ほどのパン屋の袋をみせると、警戒を解いてくれたらしい彼女は、再び首をかしげた。
「あたし、おかあさんとあさからずっといっしょにいるよ。きょうはおみせをおやすみするっていってくれたもん。おみせはしまってるもん」
 そんなことはない。母親は2人いて、1人が店を開けているのだ。しかしこの様子では、彼女は母親が2人になっていることを知らないらしい。
 どうするのだろう。トライオさんをみると視線がぶつかった。彼は考える仕草をし、再び女の子をみる。
「よかったら、なにをおねがいしたのか、教えてもらえませんか」
「おにいちゃんおはなくれたから、いいよ! とくべつだからね!」
 じっ、と女の子が遠慮のない目でぼくの方をみてくる。花をくれたから、特別だからという言葉から察するに、ぼくはだめということだろう。それはそうだ。
 だって、彼女とただの一度も言葉を交わしてないし。
「じゃあおれは離れたところで話が終わるのを待ってますね」
 気をつかわせては申し訳ないため、曖昧に笑って告げると彼は首を振り、女の子にぼくの上着のポケットを示した。
「その前に、あのお兄さんもあなたにプレゼントがあるそうですよ。彼のポケットを見てみてください」
 女の子を促すと、彼女は言われるがまま、ぼくにはなにも言わずに一方的にポケットに手をつっこんだ。女の子の態度に対する腹立たしさより、トライオさんに彼女とのやり取りを任せっきりにしている申し訳なさより、何をいっているんだという気持ちが上回った。ぼくは小さい女の子が喜ぶようなものはおろか、先ほど買ってもらったコーヒー以外のなにも持っていないのに。
 しかしぼくのポケットはたまたま運良く異次元とでもつながっていたのか、彼女はそこにあるなにかをつかんだようだった。顔をかがやかせ、異次元から手を引き抜く。
「おにいちゃん! ほんとにこれくれるの?」
 小さな手の中にあるのは、やはり花だった。ただ、その形や色には見覚えがある。彼女の母親がはたらくパン屋の飾りとおなじ種類のものだ。近くでよくみると造花だと分かる。
 なんでこんなものがぼくのポケットにあるんだ。
 困惑するぼくをよそに、トライオさんが女の子の視界の外から、彼女に花をあげるよう手で示してくる。状況から考えて、彼が仕込んでいたのだろう。一体いつしたんだ。
 とたんに、ビビッと頭の中を電流がかけぬけた。こういうの、小さい頃にテレビで見たことがある。テレビの向こうの男の人は、手に持ったペンを消したり出したり、トランプの山から一枚だけ、誰にも気付かれないうちに別の場所に動かしたりしていた。さっきのあれも、きっと魔法なんかじゃない。マジックだ。
 少女をはさんだ向こう側で、トライオさんが人差し指を口元にあてて片目を閉じた。いわゆる内緒のポーズだ。秘密にしてねのサイン。
 ということは、さっきのあれはやはり魔法ではないということだろう。
 どうして彼は魔法という体でマジックを披露しているんだろうか。魔法がみられる期待が裏切られたショックよりも、疑問のほうがふくれあがっていく。もしかするとゲームのように、魔法を使うことで精神力を消耗するのかもしれない。回復をするのに時間がかかるから、あまり使いたくないだとか。あるいは魔法を使うには制約があるのかもしれない。こんな街中で、しかもただのパフォーマンスのために魔法をぶちかますなんて、たしかに危険だ。それとももっと別の、のっぴきならない理由があるのだろう。ちゃんと理由をきけるまでは、そう思うことにした。
 今はなにより、せっかく用意してもらった少女と話す機会を無駄にするわけにはいかない。
「もちろん、どうぞ」
 精一杯の笑顔をはりつけ少女に応えると、彼女はわーいわーいとマンガみたいな喜びの声を上げ、その場でぴょんぴょん飛び跳ねた。
「ありがとう!」
 思い出したようにお礼を述べ、おにいちゃんにもおしえてあげるとませた調子で付け足した。
 そのお礼も全部トライオさんに言ってほしい。ぼくは何もしていないんだから。


 女の子が、ほんとうに店に母親がいるのか見たいというので先ほどのパン屋へ引き返すことになった。
 ノーラと名乗った少女は、家に忘れ物をとりに帰ると母親に嘘をつき、ぼくたちと3人で歩いている。公園にひとりのこされた彼女の母親が、一瞬とはいえ娘が自分を置いて家に帰ることや、突然現れたぼくたちがそれについていくことをどう思っているのかはわからない。ふつうならなにか言ってきそうなものだが、彼女はなにも言わずに微笑んで送り出してくれた。月にねがって増えた母親だから、そんなものなのかもしれない。
「おかあさんね、いつもおみせでいそがしいの。おみせがいちばんだいじなの。おかあさんはおみせばっかりっていったら、あたしのためにおみせしてるのっていうのよ」
 道中、彼女は月にねがった経緯をおしえてくれた。そのときのことを思い出してか、手ににぎった花を強く握りしめている。ずいぶん非難めいた言い方をしているが、親の心子知らずとはこのことだ。店での、いかにも優しそうな母親の様子から考えても、幼いこどもを邪魔に思っているわけではないだろう。
「おともだちとあそんだことをきいてっていってもね、いっつもいそがしいからあとでっていうんだよ。それでおみせがおわったらね、おかあさんつかれてるからまたあしたねっていうの。あたしはすぐにきいてほしいのに。きっと、いっしょにあそんでっていっても、またあしたねっていうの。だからね、おつきさまにおねがいしたんだ」
 ノーラがうつむいていた顔をあげた。こども特有のおおきな瞳が、光をうけてかがやいている。
「あたしとあそんでくれないおかあさんなんていらないって。あそんでくれるおかあさんにしてくださいって」
 きらきらとかがやく彼女の瞳が、ぼくがみているものとはちがうものを映しているように感じる。それは夢とか希望とか、輝かしいステキなものなのかもしれないが、その様子はぼくからしてみると異様だった。
「それで、おねがいはかなったのですか」
「うん! おかあさんね、おみせおやすみしてくれるって! あしたも、あしたのあしたも、もっとあしたも、ずっとずっとあそんでくれるって!」
 トライオさんの質問に、彼女は一層顔をかがやかせ、その場で飛び跳ねた。
 これを、一体どうするのだろうか。
 言ってしまえばこれは家庭の問題だ。ノーラのために働いているという母親の言葉に嘘はないだろう。彼女のために毎日忙しくしていて、でもそのために娘は寂しさを感じている。少なくとも、何の関係もない赤の他人が首をつっこむような話ではない。
「月は、一緒にあそんでくれる母親を本物とは別につくることで、そのねがいをかなえたんでしょうね」
 ぼくの心配もよそに、トライオさんは冷静に分析している。ぼくはすがるような気持ちで彼を見た。魔法でぼくの心を読んで、だれがみても納得の解決策を語りだしてくれないだろうか。これでぼくたちがねがいの解除とやらを行ったら、ノーラはまた寂しい想いをすることになるだろう。今彼女は笑っているんだから、放っておいたほうが正解ではないだろうか。いいじゃないか全く同じ母親がふたりいるくらい、フシギでおもしろいと思えば。
「つきましたよ」
 例のパン屋が見えてきて、足をとめる。店に明かりがついているのをみて、ノーラは首をかしげた。彼女の中では、母親が店を休んで自分と遊んでいることになっているのだから当然だ。彼女はそのまますいこまれるようにガラス張りの窓から店内を覗き込んだ。
「おかあさん、いないよ」
 今度はぼくがハテナを浮かべた。そんなことはない。レジの前に、公園に置き去りにした人と同じ顔をした彼女の母親が立っているのに。
「レジのとこ、みえない?」
「いないもん。エプロンのひとも、だれもいない」
 ぼくの精一杯のやさしい誘導も打ち砕かれてしまった。ノーラが、白けた目でぼくをみる。ウソつきを非難するようなその表情に腹が立ってきて、彼女に同情するぼくが消え失せた。なにをいっているんだ。この子、ねがいを解除されるのを察して、それがいやでウソをついて抵抗してるのか。
「みえていないのでしょうね。彼女が、一緒にあそんでくれない母親はいらないとねがったから」
 しれっと恐ろしいことをいう。
 なるほど。本物の母親を隠して、偽物で補っているのなら、ねがいがかなっているんだからいいじゃんと言い切ることも難しい。このままにしておけば、ノーラは一生本物の母親と向き合うことはなくなってしまう。自分に都合のいい偽物を、本物だと思いこんで生きていくのはあまりに不健全だ。
 トライオさんは、しゃがみこんで再び彼女と目線をあわせた。
「ノーラ。お客さんはみえますか」
「うん。いっぱいいるよ。いつもおきゃくさんでいっぱいだもん」
 彼女は得意げに胸を張った。そのせいでなかなか構ってもらえないというのに、母親のパンが人気なことが誇らしいようだ。
「不思議ですね。お休みしているお店で、お客さんはどうやってパンを買うのでしょうか」
 彼はわざとらしく考える仕草をした。そのわざとらしさで、彼女にも十分伝わったらしい。ノーラが不安に揺れる瞳でぼくをみた。
「おにいちゃん、ほんとうにおかあさんがいるの…?」
 ぼくはだまってうなずいた。さっきからそういってるだろ。
 泣かれても困るので、下手に刺激するのはよそう。他の人にはみえるのに、自分にだけ見えないものがあるなんて不安にもなるだろう。それが構ってほしい自分の母親ならなおさらだ。

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