4. ずるくてわるいひと

「ノーラの母親のどちらか片方が、月がつくった偽物なんですよね。公園にいる母親が本物で、店にいるのが彼女には見えない偽物ってことはないんですか?」
 挙手をして、質問ついでにノーラに伝わるように状況を整理する。もしレジにいる方が偽物なら、ノーラは母親と遊べて、母親も彼女と触れ合う時間ができる。おかしな状況であることさえ無視すれば、ねがいを解除する大きな理由はなくなる。
「おそらくそれはありませんね。公園の方が淡白なのは作りものだからでしょう。反対に、店に居る母親は仕事とは関係ない世間話をして、人間的でした」
 忘れ物を取りに帰るなんてことは遊びではないので、偽物にとってはどうでもいいのでしょうねと淡々と告げた。
「おにいちゃん、あたしどうしたらいいの」
 ノーラが、助けを求めるようにぼくとトライオさんを見た。ぼくはその答えをもっていないので、彼女にならってトライオさんに視線を移す。
「ノーラはどうなりたいのですか。月は、あなたが望んだ通りにねがいをかなえてくれたのでしょう」
 優しい口調で、意地のわるいことをいう。彼女はやはりというか、返答に困っているようだった。顔をゆがめて、うつむいて服の裾を強くにぎっている。
「そんなのわかんない」
「お店にいるおかあさんが見えなくても、公園には毎日一緒に遊んでくれるおかあさんがいますよ。それなのに、どうしてなにかをしようと思うのです?」
「トライオさん、そんなにいわなくても」
 これではまるで尋問だ。彼女も状況は察しているようだし、はやくねがいの解除をして、全部元に戻して別れたらいいじゃないか。
「いいえ。このままなあなあで解除したら、また月にねがってしまうかもしれません。彼女はただ、この不自然な状況をどうしたらいいかの決定を私たちにゆだねようとしているだけです」
 ノーラに向き直り、指を2本たてた手をひらひら振った。
「ふたつの選択肢があります。ひとつは、月にねがった通り、このまま公園にいるお母さんと毎日遊んでもらう。もうひとつはねがいを解除して、お母さんがお店に居る、月にねがう前にもどる」
 どちらがいいですか、とやさしくたずねた。彼女は言葉の意味を分かっているのかいないのか、せんたくし、あそぶ、かいじょ、と口のなかで小さく転がしながら、トライオさんが立てた2本の指を交互に見比べている。
「どっちがいいの」
 あろうことかぼくに助けをもとめてきた。
 すがるような目で見つめられて困惑する。なにいってるんだ、そんなの解除しかないだろ。母親が見えないことに問題を感じたから、どうしたらいいのかきいたんじゃないのか。
 さっきのトライオさんの発言に納得がいった。彼女はぼくに責任のすべてを丸投げしようとしている。もしこのまま一方的にねがいの解除をしても、彼女のためにはならないだろう。これから先、どうしてもいやなことがあったら無責任に月にねがって、それで不都合な事態になったら他人に助けを求めて選択の責任を押し付けて、自分ははじめから傍観者だったみたいな顔をすればいい。そうすれば、すべてをなかったことにしてもらえるんだ。
 腹の底で黒いものがぐるぐるとうずまく。まだ子どもだからとか、そんなことは頭の隅に吹っ飛んで、この子をほおってこの場から逃げてしまいたくなる。全部自分が原因なんじゃないのか。都合の悪いときだけ被害者ぶって人頼みだなんて、虫がいいと思わないのか。
 しかしぼくは逃げるわけにはいかない。ねがいの解除とやらをどうやるのか見てみたい。マジックじゃない、ほんとうの魔法もみたい。理由は自分のためで、母親と会えなくなってしまったかわいそうな少女を想っての事ことなんて1ミリもない。好奇心から近づいて、自分の興味を満たすために都合のいいようにことが進んで欲しいと思う、悪い人間だ。ぜんぶをトライオさんに任せて自分はみてるだけのずるいやつだ。こんなの彼女となにも変わらない。
 ぼくはどうしてここに来てしまったんだったか。そんなことはトライオさんの話を聞いたときからわかっている。いつまで頭の中にとじこもっているつもりだ。
 小さく息を吸い込む。トライオさんがやっていたのをまねして、彼女と目線をあわせる。
「ノーラは、その花がすき?」
「うん!」
 不安そうに歪められていた顔が打ってかわってにっこりわらった。ずっと手に持っていた花を両手で握り直す。
「そうだと思った。その花、お母さんのお店にもいっぱいあったよ」
「そうなの! あたしがすきっていったから、おかあさん、いっぱいおみせにおいてくれたの! おうちにもいっぱいあるんだよ。おうちのおはなはいきてるおはなでね、いつもあたしがおせわしてるんだ」
 興奮気味に語る彼女の瞳は喜びに満ちていた。花の世話をしている自分も、自分のために花を置いてくれた母親も誇らしいんだろう。
「そっか。ノーラがだいすきな花をお店にも家にもたくさんおいてくれるお母さんは、きっとノーラのことがだいすきなんだろうね」
 自分で言っておいてはずかしくなってきた。我ながらなんてむずがゆいセリフを吐いているんだ。耳まで熱くなっていくのが分かる。そのむずがゆいセリフを素直に受け止め、はにかむ彼女の様子をまともにみれない。知らなかった。子どもがこんなにピュアだなんて。新しい発見をした。
 ちがう、喜んでいる場合ではない。顔の熱を意識してはいけない。はずかしさを忘れろ。何も考えずにノリと勢いで言葉を吐き出すんだ。頭を動かすと、ぼくはぼくにもどってしまう。頭の中ばっかりの、悪い人間がでてきてしまう。
「ノーラのことがだいすきなお母さんのことが、きみはほんとうにいらないの?」
 空気が一瞬、固まったような錯覚に陥る。しまったと思った。はずかしさととあせりから一番よくない言葉を選んでしまった。
 無意識での発言ですら子どもにあたるぼくは、結局悪い人間のままだ。
「…ううん」
 ゆっくりと首を振るノーラの様子に、ぼくはほっとした。自分の発言で、彼女が泣いてしまうと思ったから。
「それじゃあ、魔法使いのお兄さんにおねがいしようよ。きっと助けてくれるよ」
 もうやけくそだ。今は落ち着いているようだが、突然泣かれてしまう可能性は否定できない。そうなると泣かせたのはぼくになってしまう。この期に及んでぼくは保身のことしか考えていない。
 ノーラがこくりとうなずく。トライオさんが彼女の頭をやさしくなでた。
「ねがいの解除をしてくるので、ここで待っていてもらえますか」
「うん。おかあさんにあえるの、まってるね」
「いいこですね」
 何度もうなずくノーラに微笑みかけると、彼女は安心したようだった。トライオさんに行きましょうかと促される。
「ノーラを置いていくんですか」
「それは、まあ。彼女にみせるわけにはいきませんから」
 思いがけず、歯切れの悪い返事が返ってきた。
「みたところ店の2階は自宅になっているようですし、家の前ならひとりでも大丈夫でしょう。パッと解除して、はやく母親と会わせてあげましょう」
 再びうながされ、元気に手を振るノーラを残して店を後にした。


「先ほどはだますようなまねをして申し訳ありません。私には幼い少女の前で披露するような魔法は使えないもので。話をあわせてくださって、ありがとうございます」
 パン屋が見えなくなり謝罪をされておどろいた。あんなの、ぼくはもう気にしていなかった。理由があるのなら仕方のないことだ。実際ぼくはそういう風に解釈していたわけだし、それに神秘に秘密はつきものなのだ。そうカンタンに見られなくても、なにもおかしなことではない。
 居心地のわるさをどうにかしたくて、できるだけ明るくことばを返す。
「それってつまり、おれだけだったら魔法を見せてもいいってことですか」
「ええ。ねがいを解除するのは魔法を使うのが手っ取り早いので」
 ノーラの母親がいる例の公園にもどってきた。彼女はぼくたちが公園を去ったときのまま、ベンチに座ってぼんやり周囲の様子をみている。
 母親の姿を認めたトライオさんが、両手の平で何かを包み込むようなポーズをとると、何もなかったはずの手の間に光の球が形成され始めた。周囲の空気が揺れて、風が巻き起こる。球はゆっくり離れていく手のひらにひっぱられるように形を変え、棒のようなシルエットに変わる。
ちがう、棒というより、これは
「…剣ですか? これ、どうするんです?」
「こんな形をしているのですから、使い方なんてひとつしかありません」
 ぼくの間抜けな質問にも律儀に応えたトライオさんは、見ないほうがいいですよ、と淡々と続けた。言葉が伝達されて理解するよりも前に、ぼくの視界は真っ白に染まる。たちまち視界に色が戻ったが、彼の前に浮かんでいたシルエットも、ノーラの母親も綺麗さっぱりいなくなっていた。
「長い寄り道ですみません。では、1度ノーラの様子を確認してからレイルの部屋を借りにいきましょうか」
 平然とした様子に驚いて、誰も座っていないベンチから彼に視線を移す。
「これで終わったんですか」
「ええ。月がねがいをかなえると、影と呼ばれるものが現れます。それを消すか、満足させるかするとねがいは解除できます」
 基本的にはね、と続けて歩き出す。
「…意外と、すぐにできるものなんですね」
「がっかりしました?」
 そうきこえないように言ったつもりだったが、トライオさんはいたずらっぽく笑った。ばれている。
「今回の影はすぐに消すことができましたが、そんなねがいばかりではありません。誰かが傷つかないと解決できないこともあります。だから、他人のねがいには興味本意で首を突っ込まないほうがいいですよ」
 傷つくといわれて、先ほどの光でできた剣が頭をよぎる。彼のことば通りなら、あの剣はノーラの母親の偽物をつらぬいたのだろう。ゲーム的にいうなら、あの偽物は倒されたのだ。ノーラのねがいから生まれた偽物は、本当に生きているみたいだった、娘に手を振って、にっこりと微笑んでいた。それを倒すということは、つまり
 ぼくはトライオさんの顔をみた。肯定も反論もしないぼくに、彼がなにを思ったのかは分からない。それでもぼくは、自分のなかに浮かんできた考えを否定した。この人が、そんなことをする人だと思えない。初めて会った、ぼくと同じように街の外に出られないことに対して不満を抱いていた人だ。いや、彼は見知らぬ人間に手を差し伸べられるんだ。自分のことしか考えられないぼくとは全然ちがう。
 月にねがうと、影がうまれる。ということは要するに、影はシステムのようなものだ。あの母親が本当に生きていたわけじゃあないだろう。この人は、もともと存在しなかったものを消しただけなんだ。
「あなたが期待しているファンタジーは、臨場感も感動もなく問題を解決するような、その程度のものなのです。そんなもののためにレイルが危険をおかす価値も、そんな必要もありませんから」
「もしかして、心配してくれてるんですか」
 だとしたら、ありがたいことだが受け入れがたい。ぼくはフシギを知りたいんだ。いままでのぼくの世界にはなかったものが、ここにはある。それだけでなによりも価値があるのだ。申し訳ないが、分かりましたそうなんですねとうなずくわけにはいかない。
「ええ、それはもう。私が中途半端に期待をもたせてしまったせいで、あなたのような人が傷つくのは耐えられませんから」
「おれのようなって」
「純粋ってことです。言われたことをなんでも信じて受け入れる、夢見がちでピュアな少年ですよ、あなたは」
「それはないです。それともおれは、ばかにされてるんですか」
 気付いたら反射でことばを返していた。本当はそんなことがいいたいんじゃなかった。ただ、それはちがうと思っただけだ。否定をしたかった。ぼくは困っている子どものために何かをしてあげたいと、ただ思うことすらできないような人間なんですよと。
 彼は感じのわるいぼくのことばを気にした風もなく、静かに首を振った。
「まさか。ほめているのです。ただ、忠告をさせてもらいます。素直なことは美徳ですが、だからといってそればかりでは困るでしょう? あなたは頼るべき人もいない、見知らぬ土地に放り出されてしまったのですから、なんでも信じてしまってはいつか痛い目にあってしまうかもしれない」
 それは、だれの話だろう。ぼくをみてそういう風に想像をふくらませたのか、それとも、この人がそういう経験をしたのか。あるいはただのおせっかいか、『外から来た人』に対する一般論なのか。
 なんにしても、ぼくと、純粋に信じることで痛い目にあう人とでは、少しも結びつかない。
 歩いていると、パン屋の前にかえってきていた。ガラス張りの窓の向こうでノーラがエプロンを身につけた母親にしがみついている。ということは、たしかにねがいが解除されて、元の状態にもどったのだ。
 ノーラがこちらに気付いて、うれしそうににぱっとわらった。トライオさんが応えるようにひらひらと手を振る。
「直接ノーラに会わないんですか」
「私たちはただ、ねがいの解除を手伝っただけです。それは確認できたので、あとは家庭の問題でしょう。他人が首をつっこんでどうこういうような話ではありませんよ」
「それはおれも思いますけど、でもさっきは再発防止のためにノーラに詰め寄ったじゃないですか。あんなふうに子どもを責めるより、母親にノーラが寂しがってることを教えてあげて、親のほうからどうにかしてもらった方が穏便だったんじゃないですか」
 というより、そのほうがぼくの心は穏やかだっただろう。ぼくの失言のせいで能面のように色をなくしたノーラの顔が頭に浮ぶ。
「そんなことを言われても、母親は困ってしまうでしょう。娘のために働いて、そのことが彼女を苦しめているだなんて、言われたとしてもどうしようもない。せいぜい働く時間を減らすことはできるかもしれませんが、それでは解決したとはいえません。ノーラの方に仕方がないことなのだと理解して受け入れてもらうほうが建設的ですよ」
 彼はにこりと微笑んだ。
「彼女はねがいを解除して、現実と向き合うことを望んだのです。あとは本人に任せましょう」
 違和感を感じる。彼の見当違いな解釈に基づいたぼくへの忠告と、今のノーラと母親への無関心ともいえるような発言が合わさらない。頭の中でどうにか結びつけようと、納得のいくような理由を組み立ててみても、どれも途中で止まってしまう。
「トライオさん」
 つい呼びかけてしまった自分に驚いた。やめるんだ。そこに踏み込むのか。できないだろう、そんなこと。ぼくには。
 彼が首をかしげる。
 この人のことが分からない。当たり前だ。会ってからまだ一日も経っていないんだから、分かるわけがない。それなのに、それがどうしようもなくいやだった。なんでもいいから理由がないとだめなんだ。ぼくはそういう人間だ。決して素直なわけではない。
 今ならまだ間に合う。分かりました、それじゃあ部屋を借りにいきましょう。環境が変わるのがたのしみなんですと、適当に言葉を並べれば良い。間をあけるとおかしくなるから、すぐに言わなきゃ。
「ものすごいおせっかい焼きだったり、しますか」
 思考とは裏腹に疑問の方が口をついて出ていた。背筋が凍る。それでも、一度出てしまった言葉は止まらなかった。
「それとも、あなたにはおれがそんなにあぶなっかしくみえますか。わざわざアドバイスをしないといけないくらい」
そんなこと、聞くものじゃない。普通そこにたいした理由はないものだ。他人に干渉できる人は、自然にそれをしている。たずねられた方だって困るだろう。
「そんなことですか」
 彼は言葉通り、あっさりした調子でつづけた。
「私のあなたへの干渉を過剰に感じるなら、それはレイルが私と同じで、それで全く違っているからです」
 他に特に理由はありません。昨日の晩ご飯を答えるみたいに、答えがはっきりしている事実を伝えるように、淡々と目を見て答えてくれた。拍子抜けして逆にぼくのほうが困ってしまう。そんなの、なんの説明にもなっていないじゃないか。
 だけどさらに困ったことに、ぼくはそういうのがだいすきだった。
「…はあ」
 言葉にもなっていない返事がもれる。彼はそれを責めたりはしなかった。

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