5. ふしぎとおくりもの

 箱がおかれていた。

 部屋を借りる手続きはあっさりしたものだった。背の高い大きな建物に入ってすぐのロビー。そこのカウンターに置かれた箱のような機械に、名前を入力したらおしまい。あまりにも簡潔なので不安になったが、機械からはき出されたカギはたしかにその建物の一室のもので、開いた扉が手続きが完了したことを証明していた。ぼくだって、めんどくさい手続きがないにこしたことはない。
 トライオさんはぼくを部屋まで案内し終えると、メモ用紙1枚と信じられない額のお金をぼくの手にぎらせて去っていった。当たり前のぼくの遠慮も、「私に何も持たないいたいけな少年を見殺しにしろというのですか」という冗談なのか真面目なのか判別のつかないトーンでねじふせられてしまった。おそろしい。なにをいわれたにせよ、こんなものを受けとってしまうなんてあの瞬間のぼくは催眠術にでもかかっていたとしか思えない。
 そして借りた部屋の真ん中におかれていたこの箱である。厳密に言うと借りた部屋の入り口を開けて、短い廊下を過ぎた先の一番広い部屋の真ん中におかれていた箱である。ちがう、場所の問題じゃあない。
 大きな立方体。真っ白い箱だった。鮮やかな色のリボンが丁寧に巻かれた側面には、ぐるっと溝がはいっているためフタがついていることがわかる。
 要するに、中に何かが入っているのだ。
 ぼくがこの箱を開けずにしげしげと観察を続けている理由はただひとつ。ずばりあやしいからだ。じっと見ていても箱から手足が生えるわけでも、ひとりでに開いた中に異次元が広がっているわけでもない。意味はない。それでもどう対処すればいいものか考えてしまう。箱の天井を向いた面に、紙が一枚貼ってあるのだ。

『親愛なるレイルへ。引っ越し祝いです』

 おかしい。ぼくはさっきはじめてこの部屋に足を踏み入れた。今日この部屋に人が住むようになることを知っていた人間はいないはずだし、住民になるぼくの名前がレイルだと知っていた人間はいないはずだ。ただひとり、トライオさんをのぞいては。
 じゃああの人がなにかの冗談で、なにも言わずにこの箱をおいたのかと思うとそれはどうもちがう気がする。彼とは部屋の前で別れたから、ぼくより先にこの部屋に入ることはできなかったはずだ。カギだってずっとぼくが持っていた。
 それになにより、なんらかの手段であのロビーの機械が吐き出すカギの番号が分かっていたとして、どうにか先回りをしたとして、おちゃめなサプライズだったとして、こんなでかい箱をどんと置いたりするだろうか。かかる労力がハンパではない。なにしろ淡々と魔法を披露して平然と大金を握らせてくる人だ。どちらも唐突で、演出らしいことをしていたのはノーラにマジックを披露した時だけ。引っ越し祝いです、とかいって懐からこのばかでかい箱を取り出す方がまだイメージができる。
 つまり、手の込んだことをするようなタイプじゃない。…気がする。ぼくが見た限りでは。
 彼に渡されたメモ用紙と、箱の表面の文字を比べてみる。なにか困ったことがあったらいつでも訪ねてくださいね、と差し出された小さなメモ用紙には、トライオさんの自宅の場所が示されている。文字は最小限の説明だけでほとんどない。それでも、地図の描かれ方と箱にはりつけられた紙の字体を照らしあわせれば、ほんとうにトライオさんが書いたものかそうでないかが分かるのではないかと思った。
 地図はさらっとごくごく自然に描かれたものだ。ぼくの目の前でペンを走らせていたから間違いない。線の端のインクのたまりが、いかにも手描きですという主張をしている。
 対して箱に貼られた紙の文字は、それだけをみても妙だった。どのくらいの年齢の人が書いたのか。男なのか女なのか。ささっと書いたのか、はたまたゆっくり丁寧に時間をかけて書いたのか。鉛筆かペンか、そもそもが印刷なのか。何も読み取ることが出来ない。
 しばらく2枚の紙の間で視線を往復させる。ぼくは頭を抱えた。分からない。
 この苦しみから解放される方法は簡単だ。この地図に描かれた場所を訪ねてトライオさんに聞けばいい。これはあなたが置いたんですか? って。なんたってぼくは今まさに困っている。はいそうですと肯定して楽にしてほしい。驚いたでしょう? と微笑んでくれれば、ぼくは安心してこの正体不明の引っ越し祝いを開けることが出来る。そこまで考えて、思った。
 そういえば、何が入っているんだろう。
 状況が不自然だからそこばかり気にしていた。あけてみたら空箱でしたという可能性もある。なんにしても表にはぼくの名前が入っているんだから、開けたって問題はないはずだ。そもそも、この程度のことで助けを求めているようじゃあ先が思いやられる。どれだけあの人を頼って生きていくつもりだ。知りあったばかりの他人だぞ。
 それでも開けられないのは、やっぱりどこからきたものか分からないからだ。ずっと昔の東の国の、むかしむかしではじまる物語にだってあったじゃないか。決して開けてはいけない箱をあけて、老人になってしまった男の話が。そこまでのことはないにしたって、不用意にあけるとおかしなことが起こるかもしれない。なにしろここは魔法があって、月がねがいをかなえる街なんだ。ロマンのないミラクルが起こる可能性は大いにある。
「…」
 ぼくは中身なんて気になりませんよという体を装いつつ、でかい箱を動かすことにした。何もおかしなことはない。邪魔だから動かすだけだ。間違っても、箱を開けて中身がからっぽだったときのがっかり予防として箱の重さを確認したいわけではない。決してない。
 つかむためのくぼみのない箱を持ち上げるべく、箱を少しだけ床から浮かせて、指先を滑り込ませ…られない。重い。重くてほんの少しも持ち上がらない。想定外の重さだった。頭の中の箱の重さのイメージをつり上げ、それに合わせた力を込める。それでも結果は同じだった。
 ぼくはトライオさんがこの箱を置いていった説を捨てた。こんなものを、わざわざぼくの知らない間に、つまりぼくが昨日の晩拾われて、彼が朝食を持って尋ねてくれるまでの間に持ってくる理由がない。時間的にも夜中だから、彼がこれを運んできたことになってしまう。夜道を。ひとりで。そんな手のこんだことをする意味はない。
 一体何が入っているんだ。
 いよいよ中身の存在をスルーできなくなってしまった。ぼくがこの箱に対してとれる行動はただ2つ。箱をあけるか、あけないか。
 そんなの、実質1択だ。
 ぼくはきれいに結ばれたリボンに手をかけた。手触りのいい、鮮やかな色をしたリボンはほんの少し意識しただけでするするとほどけていく。リボンがはらりと床につき、引っかかりのないフタの側面を両手でつかんで、持ち上げる。無心だった。
「へ」
 間抜けな声がきこえる。ぼくだ。中身をみて、どこかへ行っていた理性が帰ってきた。
 女の子だった。
 等身大の、普通の、人間の大きさをした女の子。背中を丸めて肩も丸めて足を折って、人間がひとり入るにはせまいであろう箱のなかに上手にすとんと収まっている。
 箱の底と周囲に花を敷いて目を閉じる女の子は絵の中からでてきたみたいで、現実味のないその様子にどきどきする。同時になんだか棺桶みたいだと感じた。いやなどきどきだった。
 いや、いくら人間みたいな大きさだからって、まさか生きた人間が箱に入って寝ているだなんてありえない。女の子じゃなくて、人形。
 ぼくは人形を視界から外し、腕を組んで考えるポーズをとった。
 困った。
 どこのだれがくれたのか知らないが、機械ならいざ知らず等身大の女の子の人形なんて、ぼくの趣味ではないし処分に困る。大きさはもとより、人間の姿をしているおかげでいらないものとして処理するのは気が引けた。
 かといって部屋の奥に眠らせておくのも人形がかわいそうだ。こういうものがすきな人がいれば、ぼくは助かるしこの人形は大事にしてもらえるしで丁度いいのに。あいにくと知り合いと呼べそうな人はひとりしかいない。
 この大きさだし、人間と勘違いするくらいよくできているから、素人の感想だけどその筋の人がみたらたまらないんじゃないだろうか。いや、そういう趣味の人はもっと別の観点からみるのかもしれないけども。
「あ、あの」
 どこからか声がする。ぼくは反射的に声のした方に顔を向けた。
 目が合う。
 いつの間にか丸まって眠るような姿勢から身をおこしていたようだった。閉じられていたはずの目が、ばっちりぼくを捉えている。ぐりぐりと大きな瞳はみていると吸い込まれそうで、ぼくは反射的に視線を外し、もう一度伺うように目をやった。
 さっきの人形だった。いや人形じゃない。生きている。
 人形は、女の子は目をふせて、もう一度開けた。意を決したように口を開ける。たったそれだけの動きが不思議と頭に焼き付いて、スローモーションのように感じられた。声は震えていて、彼女が緊張していることだけはわかる。
「こんにちは」
 状況に似つかわしくないシンプルな挨拶をして、彼女は困ったように眉をハの字にして微笑んだ。下げられた頭と連動して髪がやわらかくゆれている。
「…こんにちは」
ほかになにを言えっていうんだ。
「きみがこの箱を用意したの?」
 会話をしようとしてくれたことに頭の中で感謝しつつ、状況説明を求めてみる。入っていた本人に対して用意したというのはおかしな言い方だが、ぼくは混乱中だし、言葉を探す時間がわずらわしかった。意味的にはおそらく通じるから問題ないだろう。
 ぼくの図々しさに反して、しかし彼女はきょとんと首をかしげた。通じていない。
「これ書いたの、きみじゃないの?」
 フタにはりついていた紙をはがして再チャレンジする。女の子は記憶をさぐるようにそれをじっと見つめて、しかしふるふると首をふった。
「…すみません、わたしじゃありません」
 ごめんなさい、と頭を下げられて動揺する。言葉だけならまだしも、そんな真面目な謝罪は想定外だ。おまけにほんの一瞬で2度もあやまられてしまった。
 ぼくは彼女にそこまでさせるようなことを聞いてしまったのだろうか。
「ちがうならいいんだ。だれが置いたのか気になってるだけだから。…ところでさ」
 彼女の知らないことをきいてしまうと謝罪をされてしまうなら、彼女に分かるであろうことを聞けば良い。あいさつと同時に質問ばかりして申し訳ないが、自分で考えたって答えがみえてくるようなことでもないのだ。知っている情報は教えてもらわないと、ぼくが困る。
「きみはどうして箱の中でねていたの?」
 まさかそれも知りませんはないだろう。
 しかしまたまたぼくの思惑に反して、女の子は言葉につまってしまった。
 彼女の様子から察するに、答えはあるものの言いにくいことをきいてしまったらしい。しまったと思った。この子は地雷だらけだ。聞いちゃいけないことばかりじゃないか。
「…すみません、さっきの紙をみせてもらえませんか」
 また謝らせてしまった。謝りたいのは不用意に質問攻めにしたぼくのほうだ。
 どうぞ、と紙をさしだすと、女の子はもう一度紙をじっとみつめる。
「わたしのおとうさんかもしれません」
「お、おとうさん?」
 彼女は不安そうにこくりと頷く。
 なぜいまここで女の子の身内がでてくるんだ。そうだったとして、どうしてぼくはその『おとうさん』に引っ越し祝いを贈られたのか。会ったこともないのに、名指しで。
「おとうさんにいわれたんです。この箱のなかにはいってねって。これを書いたかどうかはわからないんですけど…」
 だからって本当にはいって寝るやつがどこにいる。
「…つまりきみはここに送られた理由もなにも知らないと」
「ごめんなさい」
 また頭を下げた。
 ぼくが怒っているわけでもないのに、女の子は身体を小さくして謝っている。
 質問したいのはぼくより彼女のほうだろう。彼女の話を丸々信じるなら、何も聞かされていないのに知らない人間の元に送りつけられたのだ。その上あれこれ聞かれてはたまったものではないだろう。何もわからない不安も手伝ってこの女の子はやたらに謝っているんじゃないだろうかを思うことにした。だからぼくが彼女をおびえさせているわけではない、と思いたい。
「わかった。いろいろきいてごめん。よかったら家まで送るよ」
 要するに、父親の方に話をきけばいいのだ。
 土地勘ないから、となりを歩くだけになるだろうけどねと予防線をはって、カーテンも吊られていない簡素な窓の外をしめす。外はいつのまにか暗くなりはじめていて、こんな時間に女の子をひとりで家に帰らすのは気が引けた。このままこの部屋に拘束するのも。
 しかし女の子の反応は気づくのが遅いと気の利かないぼくを責めるでもなく、ありがとうでもなく、むしろ目に見えてうろたえはじめた。
「ごめんなさい」
 やはりというか、頭を下げられた。
「わたし、今まで家の中からでたことがないんです。家がどこにあるかとか、どんな形をしているとかわからなくて…。だから、家まで送ってもらわなくてもだいじょうぶです。親切にしてもらったのに、ごめんなさい」
「そんな」
 ことあるか、と続けようとして口を閉じる。なにを言ってもごめんなさいが返ってくることは容易に想像できる。
 女の子はどうがんばって見てもせいぜいぼくと同い年くらいだ。それが一歩も外に出ずにずっと家の中だけで生活をしていただなんて、それこそ彼女が人形でもないかぎり納得がいかない。
「…わ、わかった」
 それでもぼくはうなずいてしまった。口を開くたびにごめんなさいをいうこの女の子が、嘘をつくようには思えなかったから。我ながら単純で、そのうち詐欺にでもあいそうだ。すでにトライオさんに大金を持たされていることは今は忘れよう。根拠はないが、あの人は悪い人ではないとぼくは思っている。
「でも、きみはどちみち家に帰らないといけないんじゃないの?」
 はい、と女の子が小さくうなずく。ここでいいえを言うやつはいないだろうに、こんな言い方しかできない自分がいやになる。
「それじゃあさ。きみを家に送る手伝いをさせてよ。きみの父親に会えばおれの聞きたいことも教えてもらえそうだし」
 女の子は大きな目をぱちくりさせ、不安げにまぶたを伏せた。
「そんなのわるいです。手がかりもなにももっていないので、どれだけ時間がかかるかわかりません」
 手伝ってもらうなんてもうしわけないです、と女の子は小さい体をさらに小さくしてうつむいてしまった。
 どうしたものか考える。うかつなことをいうとごめんなさいと謝られてしまうだろうが、当然ぼくはそんな言葉が聞きたいわけではない。彼女がぼくのもとに送られたことをきれいさっぱり忘れて、行き場のない女の子にさようならをする気もない。それにわからないことはわかるようにしないといけない。
 女の子の手から箱の表に貼られていた例の紙を受け取り、ひらひら振ってもう一度彼女に示す。
「おれはきみと全くの無関係ではないと思う。ここに書かれているレイルっていうのは、おれの名前だから。でもおれはきみの父親の知り合いじゃないから、どうしてこんなところに名前を書かれて、きみが中で寝ている箱を置かれたのかわからない」
 彼女がうんうんと頷く。
「知らない人に家の場所も名前も知られているのはあまり気持ちがよくないんだ。全くの善意でいってるわけじゃないから、申し訳ないとか思わないでほしい。あと手伝うとかいったけど、この街にきたばかりで右も左もわからないから、大して役にたてないと思う。すみませんはおれのほうなんだ」
 一気にまくしたてて、きょとんとしている女の子に右手を差し出す。
「そんなわけだけど、よろしく」
 女の子はでも、とかあの、とか何かを言おうとしているようだったが、手をだしたまま女の子が言葉を組み立てるのを待っていると、その手を両手でやさしく包むようにして握り返してくれた。やわらかい女の子の手はびっくりするくらい冷たくて、本当に人形なんじゃないかと不安になる。
「ごめんなさい。ありがとうございます」
 困ったような顔をしてはにかむように笑った。まさかさっき言おうとしていたのはそんなことじゃないだろう。強引な申し出を受け入れてくれたうれしさと、例によってごめんなさい付なものの笑いかけてくれた照れくささから、ぼくはあわてて手を離してしまった。
 だれかを同じ街の中にある家まで送るなんて地味なイベント、フィクションではなかなか見ないだろうがぼくにはそれくらいがお似合いだろう。その地味さに反して骨が折れそうなことを考えるのも、今だけはやめておこうと思った。

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