6. 自己紹介を

 「ここに名前をいれるんだよ」
 ほんの数時間前の行動を女の子に説明するべく、カウンターの上に置かれた四角い箱のような機械を示すと、どういうわけか彼女は硬直してしまった。
 女の子を家まで送る約束を強引にとりつけたものの、どこにあるかわからない家である。今からじゃあ行こうと外に出てすんなり見つかるなんてことはよほどのラッキーがないとありえないし、だからといってぼくの部屋に女の子を泊めるのは気がひける。下手すると何日もかかる可能性もある。
 そんなわけで彼女に部屋を借りることを提案したのだ。女の子がうなずいてくれたため、1階に降りてきて、手続きをするための機械の前にいる。
「こうやって、画面の文字をつついてみて」
 硬直を名前をいれるという意味が分からないのだと解釈し、女の子に実演をすべく、四角い箱の画面に浮かんだ文字に触れる。3文字ほど入力したところでそれを全部消して、どうぞと手で促すと、女の子は意を決するようにこくりとうなずいた。心なしか、白い顔がさらに血の気を失っているように感じる。
 もしかして緊張しているのか。
 10数年間一歩も家から出たことのないという女の子が、今まさに自分だけの部屋を得ようとしているわけだ。ぼくには考えもおよばない感動が、このひかえめな様子に込められているのかもしれない。
 女の子が、震える手で遠慮気味に画面に触れていく。まるで自分が触ることで機械が壊れてしまうとでも思っているかのように、ゆっくりとした動作だった。
 そういえば、まだ名前をきいていなかった。浮かんでいる文字を確認するべく画面をのぞきこんで、思考がとまった。
「なにしてるのさ」
 あわてて画面に触れる彼女の手首をつかむと、女の子はごめんなさい、と小さくあやまった。ちがう、謝罪がききたいんじゃない。
 なんといっていいのかわからず、はっきり分かるくらいに青ざめた女の子の顔と画面の間で視線がさまよう。
 彼女のすぐとなり、カウンターの上の機械の画面には『しっぱいさく』の文字が浮かんでいた。
 ふざけているのかとも思ったが、この女の子にかぎってそれはないだろうと思ったのはほんの数分前だ。材料もなく撤回するにはあまりにはやすぎる。
「これ…」
 反応をうかがいながら画面を指で示すと、女の子はためらいがちに目をあわせてくれた。
「ごめんなさい。おかしいと思われるとおもって、どうしてもいいだせませんでした。わたしには名前がないんです」
 ちゃんとおはなしします、といいながら、女の子は胸の前に持ってきた手を不安そうににぎりしめる。どうしようもない失敗をしてしまった、こんなことになるなら早くに言っておけばよかったと後悔をしているような、そんな表情だった。
 そんな顔をする彼女のことをかわいそうだと思ってしまった。突然に家から放り出され、知らない人の家で、そいつの顔色を伺って言うべきことも言えずに、あげくに傷ついている。
 同情している場合ではない。彼女が恐れてるのはぼくなのだ。そもそもぼくが家に送るといわなければ、部屋を借りようといわなければ、もっと早くに名前を聞いていれば、彼女はこんな顔をせずに済んだのに。
「…わたしは」
「あとで聞くから、かして」
 彼女のあいた方の手首をつかんで、画面の上に指をすべらせる。既にうかんでいた冗談みたいな文字列を消して、新しく入力し直していく。
 最後に決定のボタンに触れると、女の子が不安そうにぼくをみた。画面には名前を確認してくださいと事務的なメッセージがうかんでいる。
「そういうことははやくいってよ」
 思わず非難めいた言い方になってしまった。彼女は肩をびくりとふるわせて、ごめんなさいと何度目かもわからない謝罪を口にする。すっかり萎縮している女の子の態度がいやで、でも彼女にそうさせているのはぼくだった。
 気分を落ち着かせるために大きく息を吐くと、女の子はそれにすら身をこわばらせた。
「アルリラでどう?」
「…?」
 大きな目がぱちぱちと瞬く。
 進まないやりとりがじれったくなって、彼女の手をつかんだままカウンターの上の機械を指差した。
「だから! 名前、ないんならつければいいじゃん」
 どうかな、と口から漏れて、一気に申し訳なさがわき上がってきた。どうかなじゃない。
 ぼくが一方的につけようとしている名前は、アルリラは、ぼくのすきな本にでてくる登場人物の名前だった。とっさに浮かんだとはいえ犬や猫じゃあるまいし、あまりに安直すぎる。こんなの彼女に失礼だ。
 女の子は目をまん丸にして、時間差でそこからはらはらと涙があふれた。いわんとすることは分かる。他人に、それもやけくそ気味に名前を押し付けられて悲しんでいる。
 肝が冷えた。冷や汗が浮かぶ。手のひらがやけに熱くて、ずっと彼女の手首をつかんでいたことに気が付いた。ゆっくり離すと彼女は反対の手で目尻をぬぐって、あろうことか微笑んだ。緊張がぬけたみたいに、ふにゃりと。
「ありがとうございます。うれしいです…!」
 ありがとう?
 おどろいてしまった。謝罪以外の言葉が出てくるとは思っていなかった。
「よろこんでくれたんならいいんだけど…これでいいの?」
 彼女はふわふわの髪をゆらして何度もうなずき、そのままぼくがつかんでいた手を胸の前で抱きしめるように、反対の手で包んだ。
 ものすごい温度差を感じる。涙の理由がうれしさだとすると、罪を告白してもいいものかためらってしまう。もちろん悲しさでも困るんだけど。
 しかし泣かれてしまうと事実を伝えるのもはばかられる。今なら入力し直せるが、ぼくの自己満足のためにそのことを伝えて彼女の微笑みをぶちこわすのもいかがなものか。
「今ならまだ別の名前で登録できるけど、もっとかわいい名前がいいとかきれいなのがいいとか、希望があったら教えてよ。入れ直すから」
 変更を促してみると、彼女はふるふると首をふって、意外にもはっきりと否定した。
「いいえ、この名前がいいです。すてきすぎて、わたしにはもったいないくらい。ほんとうにありがとうございます」
 ぺこりと頭を下げて、もう一度あげた彼女の顔は言葉通りとてもうれしそうで、最初に名前を入れるよう促したときのように気を遣っているわけではなさそうだ。
 女の子は画面の上の決定ボタンに触れ、画面の上に浮かび直した文字を見て目を細めた。
 相当気に入ってしまったらしい。彼女のよろこびに水をささないためにも、せめてもの罪滅ぼしとしてネーミングの由来は黙っておこう。
 女の子に箱の側面のトレイにはき出された鍵を拾うよう促し、部屋に行こうと提案する。彼女はこくりと頷き
「あ、まってください」
 呼び止めて、照れくさそうに顔を赤らめた。
「自己紹介を、させてもらえませんか…?」
 自己紹介、つまりぼくと名前を教えあう儀式を終えていることをわかっているらしいことは、どんどん小さくなっていく声が証明していた。
 ここで彼女の提案を突っぱねるのは簡単だが、先ほどの彼女の嬉しそうな顔を見てしまったぼくにそんなことはできない。なにより謝罪ばかりの女の子が、こんな提案をするほどに舞い上がっているのだ。なんならこのままずっと浮かれていてほしい。身に覚えのない謝罪はもう遠慮したい。
「レイルだよ。よろしく」
 言って、無性に気恥ずかしくなってきた。まるでおままごとだ。うんと小さいころ、同じくらいの年の女の子に散々つきあわされたことを思い出す。
「アルリラです。レイルくん、よろしくおねがいします」
 ぺこりと頭をさげて、とびきりうれしそうにはにかんだ。
 さっきまでびくびくしてたのに、今はにこにこ微笑んでいる。
 何で笑ってるんだよ。言いたいことも言えないくらい、ぼくが怖かったんじゃなかったのか。


 彼女の部屋に上がらせてもらうと、間取りはぼくが借りたものと全く同じのようだった。念のために例の白い箱が置かれていないか確認したものの、それらしいものは見当たらない。
 すでにインテリアとして置かれているイスに机を挟んで向かい合うように座り、アルリラと目を合わせる。
「最初にルールをきめよう」
 彼女ははきょとんとしている。
「おれはきみにいろいろ言ったりきいたりするけど、いいたくないことは無理していわなくてもオッケーってこと。おれも自分に都合の悪いことはいわないからさ、きみもいいたくないことを聞かれたら、ムリっていってね。追求しないから」
 アルリラがうなずいたことを確認して
「さっきのはきいてもいい?」
 彼女はもう一度うなずいた。
「もちろんです。わたしがへんに隠していたせいで、レイルくんに迷惑をかけてしまいました。ちゃんとおはなしします」
 そうじゃないと思った。気をつかうんじゃなくてもっとシンプルに考えてほしかったけど、どうもピントがずれている。
「…わたしはおとうさんがつくってくれた、ニセモノの人間なんです」
 反応に困る。隠していたからには過剰に食いつかない方がいいのかもしれないが、あまりに淡白だと信じていないと受け取られるかもしれない。
 実際、信じてはいないけども。
 しかし聞いたのはぼくの方なので、大げさすぎないくらいに驚いた顔をつくる。おどろいた、けど引いてはいない…くらいに受け取ってもらえることを祈ろう。
「そっか…。それで、『しっぱいさく』って?」
「はい。わたしはおとうさんが思ったとおりに生まれることができなかったみたいで、ずっとそう呼ばれていました」
 呼ばれること自体そんなになかったんですけどね、と困ったように笑う。
 微妙に饒舌なところをみると、イヤな反応だとは思われなかったみたいだ。

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